会誌・短歌誌 掲載歌




2007年2月、短歌人会に入会。



選歌をOさんにおねがいし、

会誌の会員2欄に、2007年4月号より掲載。



同年7月号より、ほぼ毎月添削をしていただく。

内容的には評・助言が主体。語句を丸ごと直されることはほとんどありません。

(参照・鈴雨日記



同年9月号より、旧かな表記へ変更。



2008年度高瀬賞(『短歌人』に於ける新人賞)に応募。

タイトルを置いた15首連作。

締め切りは同年2月。発表は7月号。

応募作品87編。うち37編の候補作の中の1編に残ることができました。

翌2009年は、候補作にも残れず。

・・・ではありますが、記録のため掲載します。


2008年応募作のうち会誌に紹介されたのは2首ですが、

記録する意味もあり、全編をここに掲載します。






添削は、2009年1月号をもって自ら卒業とする。



2009年3月号より、Fさんに選歌をおねがいする。





なお、月例詠草には、「鈴雨のお宿」サイト内に掲載している過去の作品も

そのまま、あるいは推敲の上、出詠している場合も少なからずあります。





2009年師走、或る一人の若すぎる死に遭遇。

以後、短歌を詠むこと読むこと、そしてそれまでの私の短歌とのかかわり、

すべてが耐え難い苦しみとなり、短歌から離れることを決断。

3年間お世話になりました『短歌人』を、万感の想いを抱きしめつつ退会。

このときのブログ記事を、此処に

ごあいさつとして保存しておきます。

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<『短歌人』退会のご挨拶>



先日、短歌人会を退会いたしました。

理由は、短歌と向き合えなくなってしまったから、です。

ある悲しみを抱えてしまいました。

(悲しすぎてここにはとても書けないこと、おゆるしください。)


「得られない」悲しみは、得られたときに癒えましょう。

「失った」悲しみは、失われたものがまた戻れば癒えましょう。

けれど、「喪った」悲しみは、癒えることはもうありません。

時間をかけて、諦める。そうすることでしか、乗り越えられない。


そのような悲しみを抱えながら、歌を詠む方々がたくさんいらっしゃる。

時には、歌を詠む友その人が喪われる、という悲しみにも出会いながら。




短歌に触れると(読むも詠うも)抗い難い力で自らまた辛さを引き寄せ、

悲しみに深く分け入ってしまうのです。


歌を詠むことに真向かうとは、

己の裡の引っ張り出さないでよいものを

わざわざ深く深く降りていってほじくって

引っ張り出そう引っ張り出そうとする作業のようで・・・



実は、ちょっと体調も低下しておりました。

月2本までに減らして順調だったエンブレル、

1月途中にまた週1本に増やすような状況で。


短歌に対して、私は本当に甘い考えで向かっていたと思います。

今はとにかく、離れてみることにしました。


欠詠だけでなく、会誌の購読もやめることにしたのは、

読んでいればどうしても「私も短歌つくるべき」だと思えてしまうからです。


そのような苦しい循環を断とうと決断した次第です。


短歌人でのご縁を思うと、ただただ胸が詰まるばかりです。


選歌いただいていた編集委員さまからは励ましのお便りをいただき、

短歌人発行人さまにも、退会ご承諾のあたたかなお返事をいただき、

胸が一杯になりました。


短歌人のみなさま、三年間本当にありがとうございました。


お一人お一人にご挨拶いたしませず去ること、申し訳ありません。

どうかおゆるしくださいませ。


今後も、「短歌人」と短歌人の皆様のご活躍を、心よりお祈りいたしております。


もしもいつか短歌人に戻らせていただく日がありましたら、

もう二度と短歌をやめない私になっているはずです。



2010年3月 本田鈴雨








 





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