今だから書けること。

 

 

短歌は怖いと、心底思った。

思いもよらぬ、身近な者の夭折。

愛しく大切な存在の、若すぎる命が失われた時に。

 

当時私は、歌を詠むために、自分の中の"不幸探し"に明け暮れていた。

その報いだと、思った。

言霊。

自分がいかに生半可な心で言葉に携わっていたかを、痛烈に思い知らされた。

 

遡ってみれば、それは結社への入会から始まった。

それまでの、お遊びで短歌の真似事をして自己満足に浸っていればいい世界からの、脱却。

歌人としての帰属。

会誌や歌会という、「作品」発表の場。

読み手(受け止める側)の存在を、否応なく意識すること。

同時に自分も読み手であり、評をし評をされ、それが切磋琢磨となるということ。

 

数多の大先輩方、歌仲間であった方々、その誰もが優れた歌人。

すばらしい歌人集団の中に

私は間違えて迷い込んでしまった、凡庸で浅はかな愛好家だった。

そんな世界で、優しく楽しい歌仲間の皆さんになんとかついていきたいと焦るうち、

一つの思い違いをしてしまったのだ。

 

いつしか私は、不幸さがしをするようになっていた。

これまでいつも、総じて自分を幸せだとしか思ってこなかった私でも、

探せばきっとあるはずだ。

自分の中の深く深くに根を張っている悲しみ、という、歌の根源となるべきものが。

 

…しかし私にはそんなもの、ありはしなかった。

だけどそういうものがなければ

人の心を打つような深い歌など、詠めやしないんだ。

豊かな空想の物語に誘う歌も、驚きに輝くような発見の歌も、鋭く斬り込む痛烈な歌も…

人を惹きつける歌など詠むことのできない、私のような凡才は。

 

そんな思いに囚われ続けていたから、悲しみを造り出した。

悲しみを、利用するために。

悲しむ必要もないこと・別に悲しいと思っていなかったことにわざわざ感情を注ぎ込み

そうして深めた悲しみは苦しみを帯び、

それを歌に変換してみたりした。

 

まさにそんな時だった。

それまで私が「悲しみ」としていたものなど一瞬にして砕け散り消えてしまう、

血を分けたひとつの命を絶望する悲しみ。

それは、私自身と私の大切な人たちを、もろとも呑み込んだ。

 

人が、不幸を欲し招こうとして悲しみの感情を呼び起こし増幅させ

その想念を込めて言葉を操るという行為。

そこに生まれるのは、目に見えぬゆえ怖ろしい、巨大な負のエネルギーだ。

それは、時を同じくして別のところから来る負の力と合流し

思いも寄らぬところにまで及んでしまう。

 

…そう思った。

今も、そう思っている。

 

実は、それ以前にもあったのだ。

結社入会間もない時期から、いたずらに言葉を選び短歌としていたいくつかの詠草が

後から思えば不吉なキーワードになっていた、と気づいた、

私にとって直接ではない関わりにあるところでの出来事が。

でもその時は、

ちょっと気持ち悪い、、、でも単なる偶然だ。

と思った。

 

ことだま<言霊>とは

本当によく言ったものだ、と思う。

少なくとも私には、それを操り御することはできない。

 

だから、言葉と真摯に関わるならば、

己に絶対禁じることが二つある。

一つ。

負の感情を込めること。

二つ。

いたずらに不幸を託す言葉を弄ぶこと。

 

それを必ず守れると確信できる時が来ない限り、

私は短歌を詠もうとは思わないだろう。

 

 

ただし、似て非なるものがある。

悲しみを“昇華する”ために詠むのであれば、

それはそれなりに自己を救うのだろう。

大切なのは、ベクトルだ。

私にとって、( 3.11 以前の)俳句が、そうだった。

 

私の場合。

真剣に取り組めば取り組むほど、短歌のベクトルは

自己の内へ→  深みへ→  細く細く掘り下る→  闇へ→

となってしまう気がする。

一方、俳句のベクトルは

己の外側へ→  高みへ→  大きく投げ上げる→  空や光のさす方へ→

という感覚。

なぜなのか。理論的な説明はできないけれど…

「季語」という、己の外側の世界を取り込もうとする作業のおかげも、あるのかもしれない。

 

もしもまたいつか詠むことがあるとしたら、

きっと俳句なのだろう。

 

 

(2016年12月)

 

 

 

 

 

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