2009年








1月号





 われは月きみのまはりを周回す半身に暝き海をかかへて 



  野菜用除虫スプレーのゆるやかなる殺戮なかば逃げたりわれは



  キリスト者ならざるわれの告解を水槽のむかうがはの夫に



  産み付けるべき豊饒を七階のベランダに見しか鱗翅目母



  はりり割るゴーフル甘き十月尽あかたてはのかたはね舞ひ落つ



  嗚呼、と鳴く烏よおまへ詠嘆を知るやわたしもああ、と和するよ








2月号





  天と地を結ばむとただひたすらの落葉針葉樹林のわうごん  



  キヨスクをキヨスケと呼ぶ母の買ふ都こんぶのほのあまき粉



  かたことの英語交はせしエアメール西ドイツとふ国の少女と



  はるかはるか名はよみがへるガブリエレその金髪をおもふ東雲(しののめ)
  


  あまたなる確率を超えここに在る きみ われ かれら この砂粒も



  悩まずにまゐりませうか私はただわたくしの容れものとして








3月号





  マンホールの蓋に挿されたる一茎のデンドロビウムファレノプシス



  供花ならむ蘭はマゼンタ新宿の暗渠を塞ぐ鉄のディスクに
 
 

  この穴の通ずる先の穴にゐて水道工事夫は殉職せしを



  <雪国>の名にごまかされまいとする我がこころねを舞茸に詫ぶ



  太郎月たのしき者や其処にゐむ宙を視つむる赤子わらふよ








4月号





  わが右の後方歩く靴交互に視界へ来るぞチャバネゴキブリ



  ラップフィルム引きつつ夜半にかそか聞くわがたましひの曳かるる軋み



  東北線車内に在りし何某氏の風邪は夫に運ばれ来たり



  わが識らぬわれは何をかかなしまむ眠りの呼気にこゑをともなひ



  このからだ共鳴胴となりて鳴り咳を咳突き咳のぼり来る



  なにごとのありて水槽出でたるやあはれ直訴の沼海老は干ぬ








5月号





  閉づることなきファスナーの片噛みのすべらかにモノレールのきたる



  東京湾ちかき運河のみづのうへ袖すりあへる異種乗り物は



  左手にTCKの見えくれば反射として思ふスーパーオトメ



  首都高を駆けし牝馬のこころはも 左カーブに身は傾きぬ



  ブリッジへおほきループを疾駆するわれらの世界をひかりがうごく



  コンテナを踏みわけて立つ埠頭からきりんの群れは彗星を呼ぶ








6月号





ポニーテール巻きて留めたるUピンの弧を圧せばかへる髪の弾力



そのかみの記憶毛髄に刻まれてシニョンシニョンとわが髪の恋ふ



束髪のゆたけきをとめ妻となり母となり初めし祖母の大正



十六となりし日にわがおほ母の終をみとりきひとり真昼間



花冷ゆる桜の園にたちつくす 合掌とは、あたたかきかな。



桜咲く堤を見つつ草楽さ、回文つぶやく草なりわれは








7月号





をさなかりし記憶に著き父の弾く旋律と黒きギターのひかり



おもほゆる〈黒い瞳〉の開きゐる譜面と〈影を慕いて〉のイントロ



ふちどりの螺鈿細工に虹の見ゆ きつとその穴覗いてはならぬ



クラシックギターに替へてフォークギター選びしわけ訊きそびれたるまま



父の手ゆ夫の手へと渡るとき褐色のギターれん、と鳴りたり



誰ひとり言はぬなりその明白に いつか形見とならむギターよ








8月号





今宵また酔ひどれは歌ひ明かすらし いだきあはざる夜夜の積みゆき



ぎうにゆうのやみのそこひのひとり寝の疾うに亡きひとの夢 きれぎれ



わたしたちプラトニックになりました 嗚咽を吸ひし枕しづもる



八年のご愛顧有難う御座います。もう仕舞ひませう、イラナイハダカ。



岐路に立つ夫婦であるかもしれぬのに汝がねむき手は手をもとめ来て



腹の上にねむるてのひら鞣しなめしカーブ確かむ生命線の








9月号





蛇行するほそながき坂のぼりつめ出会ひぬ空と〈青嵐歯科〉に



色もたぬ膜のかなしみ光るばかりラップフィルムの透きとほれずに     
(光る/てる)



誤変換メールも恋文なりしころ舞つてゐますと君を待ちけり



疲弊せる夫はつひに職を辞す〈心〉のロゴの社章をはづし



シュラフより君が眺めし星空よダムの底へと没さむ村の



眠るまへにはつかためらふ問ひかけをふたりの上のゆるやかな闇へ








10月号






駆引きのいろとりどりの交錯のツールドフランスうるはしく行く



仏蘭西の牧場のわき銀輪の群れ駆けぬけて牛も走りぬ



とうに亡きひとの想ひに気づきたり 入道雲にひとりごと云ふ



終はりへと急ぐ花火の打ち上げの綺羅かなしまむ天の過呼吸 



あふむきてじ、じ、と辞世の油蝉ことしいくつをわが見届けむ



八月のかどの八百屋の日除け幕風をはらめばトマトかがやく








11月号





ひむがしに向かふわたしの真上から飛行機雲の垂れきて九月



ランチするといふ動詞わが使ひをりランチが目的にはあらぬとき



孕みたることなきをんなふたりゐる凌霄花のなだるる下に



孤独死のニュースの痛み(いつの日か)「己が残る」と去年きみ言ひき      
(己/おれ)



ほろよひの夜話に死ぬ順決めしことなどをおもひつ結婚記念日



くるぶしのてつぺんから冷ゆ はつあきの午睡によこたふうまずめの身の








12月号





十月の何処からか涌くたまりみづに置かれたるまま 腐蝕してゆく



店頭のあをき蜜柑にたちどまりカゴには入れずみかん缶買ふ



「こどものころ缶詰みかん工場のおばさんが手で剥いてると思つてた」



化学もて蜜柑のうすかは溶かさるるあはれシロップ(禁断)を飲む



ねむるひとにただ抱かれをり けさ刺しし液肥アンプルのまみどり減らむ



わたくしのうざうむざうのながれいで青磁の壷となりてめざめむ















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