鈴雨のこと  〜カラダ篇


まえおき



いままで、就職活動や病院以外の場では

自己紹介で体のことを語る。という考えが、まったくありませんでした。

(もちろん、リウマチ関連のサイトなどで知り合った方は別ですが。)

それほど、私にとって「関節リウマチ」という病気は

あえて採り上げるほどのことでもない、単なる自分の一部分でしかなく、

「私」を説明する場合には二次的なことだったのです。


その理由の一つには、周囲の人たち・・・

「私がリウマチであること」は特に意識していないけれど

たとえば、私が物を落としたら反射的に拾ってくれる。


そんな、熱くもなく冷たくもなく、

温度を感じさせないほど当たり前でいてくれる

長いつきあいの友人達に恵まれていることも、あるかもしれません。



また、逆説的ですが、

初対面でも手の変形を一目見れば、なにかしらの認識をしてもらえる。

(おつきあいするうち、むしろ人より器用だと感心されますが〜)

そのようにして了解を得ることを、手っ取り早くてちょうどよいので

無意識のうちに利用していた・・・そんな理由もあるかもしれません。


ですが、物理的に必要であれば

「自分にできない事柄を周囲に伝えること」に、ためらいは持ちません。

自販機でお釣りが取れなければ、そばにいる人にお願いする、とか。

なにかの集まりの時には、椅子席の設定を検討してもらう、とか。

(または、参加を遠慮させてもらうことも、選択肢です。)

野外ライブ等で洋式トイレの設置が無ければ、対処をお願いしたり。

(出演者用のトイレに案内してもらったことがあります。)



自分がこの病気であることによって

生きる場所や出会う人は違ってくるでしょうけれども、

生きる環境や人間関係、人生(自らの価値観を基準とする)そのものが

左右される、と感じたことはありませんでした。

なぜなら、自分が生きている「環境」とは

少なからず自分自身が取捨選択し作り出すものであり、


私という人の中身は、病気であってもなくても同じだと思うからです。


などともっともらしく書いてみましたが、つまりこんな気持ちです。

「RAでなかったとしても、私はやっぱりこんな私、おんなじだったろうなぁ」


そして

関節リウマチという病気であることを、常に意識するようになったのは

「リウマチである私」を愛してくれる人(夫)と出会ってから・・・

彼の目を通して「私という存在」を見るようになったとき、

かもしれません。


ひとつだけ、反省しているのは

35年以上になろうという長い病歴の中で、

自分の病気についてきちんと知ろう、勉強しよう、という意識も

ある時期までずっと持つことなく来てしまった、ということ。

恥ずかしいことですが、検査結果や投薬内容といった最低限のことさえ

きちんと把握するようになったのは、最初の手術(頚椎)以降でした。



以上、自分のサイトを立ち上げるにあたって改めて考える機会となり、

関節リウマチである自分のことを、書いてみることにしました。


(2005年 記)

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